あなたのネガティブ感情、そのかなりの部分は「他人に作られている」という現実
- 仕事から帰っても、ずっとモヤモヤが消えない
- あの人の顔や声を思い出すだけで、イライラがぶり返す
- 「自分が悪いのかな」と、気づけば自分を責めてしまう
こうしたネガティブな感情を、理由もわからないままズルズルと引きずっていないでしょうか。
しかも厄介なのは──
そのネガティブ感情のかなりの部分が、「他人によって作られている」可能性が高い
ということです。
「え、感情って自分の解釈から生まれるものでしょ?他人に作られるっておかしくない?」
と思った方もいるはずです。
この記事では、
- 「他人からネガティブな感情を作られる」とはどういう意味か
- 心理学的なモデル(出来事 → 解釈 → 感情)と矛盾しないのか
- 意図的な“嫌がらせ”や“感情操作”が、どうやって人の心を削っていくのか
- そして、そこから自分の「心の主導権」を取り戻すにはどうしたらいいのか
をじっくり解説していきます。
まず整理:感情は「出来事 → 解釈 → 感情」で生まれる
心理学では、感情が生まれるプロセスはよくこう説明されます。
- 出来事(外側で起きたこと)
- 解釈・認知(自分の内側での意味づけ)
- 感情(怒り・不安・悲しみ・恥・安堵・喜び…)
「上司にきついことを言われた」という出来事があったとき、
- 「自分はダメだ、また失敗した」と意味づける人もいれば
- 「この言い方はさすがにおかしい」と感じる人もいる
同じ出来事でも、解釈が違えば、出てくる感情も変わる。
これはその通りです。正しい。
ここだけ切り取れば、
感情は“自分の解釈”から生まれている
だから、他人が感情を作っているというのはおかしい
という主張にも一理あります。
でも、現実の人間関係では、このモデルだけでは説明しきれないことが起きています。
それでも「他人にネガティブ感情を作られる」は現実にある
ここで、もう一歩だけ視点を広げてみます。
● 意図して「嫌な気持ちにさせる」人たち
たとえば、こんなケースがあります。
- わざとみんなの前でバカにする
- ミスを過剰に責め立てて恥をかかせる
- 無視や舌打ちなどで「お前は邪魔だ」とメッセージを送る
- 不安を煽るような言い方でコントロールしようとする
これらは全部、
「相手を嫌な気持ちにさせたい」
という意図をもって行われる行為
です。つまり、
- ネガティブな感情を相手の中に発生させて
- 相手を萎縮させたり、支配したり、コントロールしたりしたい
という“感情を使った嫌がらせ・操作”なんですね。
で、実際にそれによって、
- ある人は深く落ち込み
- 自分が悪いのだと信じ込まされ
- 行動できなくなり
- 自分の価値まで疑うようになってしまう
こうなると、どう言えるでしょうか。
嫌がらせをした側は、
「相手をネガティブにする」という目的を達成している
つまり、
外部の人が、意図的な行為によって、
その人の中にネガティブな感情を“作り出すことに成功した”
と表現することが、日常語としてはしっくりきます。
これが、この記事で言っている
「他人からネガティブな感情を作られている」
という意味です。
「他人が作る」と「自分が作る」は、どちらも正しい
では、整理してみましょう。
1. メカニズムのレベルでは「自分が作っている」
心理学モデルに立ち返ると、
- 出来事(他人からの言動・態度)
- 自分の解釈・無意識の前提・過去の記憶
- そこから感情が生まれる
という流れは変わりません。
最終的に感情を感じているのは、たしかに自分自身です。
この意味では、
感情を“生成しているエンジン”は、自分の内側にある
というのは正しい。
2. 現実の因果関係のレベルでは「他人が作っている」とも言える
一方で、こうも言えます。
- その人があんな言い方をしなければ、
そもそもそんな解釈をすることも、感情がここまで揺さぶられることもなかった - 相手は「こちらを不安・罪悪感・恥の感情でいっぱいにしてやろう」と意図して言動を選んでいる
このとき、因果のチェーンを外側から見ると、
嫌がらせをした人の行為 →
(自分の内側でのプロセスを通って) →
ネガティブ感情が発生した
という関係が成立しています。
だから日常的な言葉では、
あの人のせいで、こんな気持ちになった
他人からネガティブな感情を作られた
と表現することも、現実の感覚として間違っていないわけです。
この「どっちのせい論争」が、実はかなり危険な理由
ここで一番まずいのは、
「全部自分の解釈のせいなんだから、自己責任でしょ」
という方向に振り切れてしまうことです。
それは、こんなメッセージになってしまいます。
- 嫌がらせされても、受け取る側の解釈が悪い
- 不安にさせられても、感じる側のメンタルの弱さの問題
- 萎縮して動けなくなるのは、あなたの自己管理不足
これでは、加害行為を免罪してしまうことになりかねません。
一方で、
「全部あの人のせいだ、私は被害者なんだから何も変えなくていい」
という考え方にハマると、
- 自分の内側のプロセスを一切見なくなる
- いつまで経っても心の主導権を取り戻せない
- 環境が変わるまで、ずっと苦しみ続ける
という沼にもハマります。
だからこそ大事なのは、両方を同時に見る視点です。
- ① 行為としての嫌がらせ・モラハラ・感情操作は、相手の問題でありNG
- ② それによって「自分の内側で何が起きているか」を理解し、
そこだけは自分で選び直せるようになる
このバランスをとることが、健全な意味で「自分で感情を扱えるようになる」ということです。
「他人から作られる感情」のプロセスを分解してみる
ここで、さっきの話をもう少し丁寧に分解してみます。
ステップ1:外部からの「意図された働きかけ」
- バカにする
- 落とす
- 不安にさせる
- 恥をかかせる
こうした言動は、
「相手をネガティブな気持ちにさせたい」
という意図を前提に組み立てられています。
つまり、最初から「ネガティブ感情を作るための仕掛け」として設計された刺激です。
ステップ2:自分の無意識の前提・記憶にぶつかる
その刺激が、自分の中の
- 自己イメージ(自分はダメだ、嫌われやすい など)
- 過去のトラウマや傷つき体験
- こうあるべきだ、という強い思い込み
にぶつかったとき、感情が自動で生成されます。
ここでポイントなのは、
この自動生成プロセスに、気づいていない人が多すぎる
ということです。
「気づかないまま、勝手にネガティブ感情を増幅されている」
これが、かなり深刻な問題なんです。
ステップ3:ネガティブ感情に自動操縦される
そしてそのまま、
- 何日も何週間も、同じことを思い出しては落ち込む
- 自分を責め続ける
- 行動がどんどん小さくなる
という状態に入っていきます。
ここまでくると、
外部の人による“嫌がらせの意図”が、
あなたの内側での自動プロセスとつながり、
その結果としてネガティブ感情を作ることに成功している
といっても、違和感はないはずです。
自分の「心の主導権」を取り戻すためにできること
ここからが大事なパートです。
ポイントは、
外部の行為は相手の責任のままにしておきつつ、
自分の内側のプロセスだけは、自分で握り直していく
というスタンスです。
① まず、「嫌がらせは嫌がらせ」と認識する
- 「自分が弱いから傷ついただけだ」
- 「言い方はきついけど、愛情の裏返しかも」
と自分を説得しすぎないことが大切です。
意図的に傷つけてくる言動は、はっきり“嫌がらせ”と認識してOKです。
そこまで認めない限り、内側のプロセスを整える以前に、危険な環境に居続けてしまう可能性があります。
② 無意識の自動プロセスを「見える化」する
さきほどの3ステップを思い出してください。
- どの言動がトリガーになったのか
- それに対して、自分はどんな意味づけをしたのか
- その結果、どんな感情が生まれたのか
ノートでもスマホでもいいので、一度書き出してみるといいです。
「みんなの前で『そんなことも知らないの?』と言われた」
→ 自分の中の前提:「できない自分は価値がない」
→ 生まれた感情:恥ずかしさ・無力感・怒り
このように“見える化”されると、
「あ、今こうやってネガティブを自動生成してるな」
と客観視できるようになります。
③ 「じゃあ、どんな感情でいたいか?」を先に決める
ここからが、「感情を作って使う」フェーズです。
- この状況に、どんな感情状態で向き合いたい?
- 恐怖ではなく、冷静さ?
- 劣等感ではなく、尊厳?
- 絶望ではなく、「まあこういう人もいるよね」という距離感?
感情を「選んでいい」という前提を、自分に許可すること。
これが第一歩です。
④ 自分のためにポジティブな意味づけを選ぶ
相手を正当化するためではなく、
**「自分がこれ以上削られないために」**意味づけを変えます。
- 「この人は、他人を落とさないと自分を保てない弱さを抱えている」
- 「こういう言動をする人の言葉は、私の価値を決めるものではない」
- 「距離を取る、環境を変えるという選択肢を持つ自分でいよう」
こうやって意味づけを選び直すことで、
同じ出来事でも、湧き起こる感情の“質”が変わっていきます。
まとめ:他人に作られる感情から、自分で創る感情へ
最後に、この記事のポイントを整理します。
- 感情はたしかに「出来事 → 解釈 → 感情」というプロセスで生まれる
- その意味で、“感情のエンジン”は自分の内側にある
- しかし現実には、「相手を嫌な気持ちにさせる」という意図をもった嫌がらせ・感情操作が存在し、
それによって人の中にネガティブ感情が自動生成されている - そのとき、「他人からネガティブな感情を作られている」と表現するのは、現実の感覚として間違っていない
- 大事なのは、
- 行為としての嫌がらせは相手の問題でありNGだと認識しつつ
- 自分の内側の自動プロセスに気づき、
そこだけは自分で選び直せるようになること
AI時代は、IQ(頭の良さ)よりもEQ(感情を扱う知性)が問われると言われます。
そのEQの核心の一つが、
「他人に感情を作られる側」で生きるのか、
「自分で感情を創り、使う側」で生きるのか
という選択です。
エモーションプラスは、あなたに 「自分で感情を創り、使う側」で生きることを提案しています。その方法を提供しています。
もし今、誰かの言動によって心がかき乱されていると感じるなら、
その感情を押し殺すのではなく、
- 何がトリガーだったのか
- 自分の中のどんな前提とぶつかったのか
- これからどんな感情で生きていきたいのか
を、少しだけ立ち止まって見つめてみてください。
その小さな「気づき」と「選び直し」が、
他人に作られるネガティブ感情に振り回される人生から、
自分で感情を創って生きる人生へのシフトの、最初の一歩になります。
強がって細かい部分を見ないようにするよりも、細かい部分を見れる強さを持ち、その上で細部の原因を特定し、それに対して対処できる自分になる。その感情部分の問題解決としてエモーションプラスが役に立つのです。あなたが自分の目的に沿って必要な感情を自ら作り出すことができるようになればなるほど、あなたに対して嫌がらせをして嫌な気持ちにさせてやろうと仕掛けてくるものがいたとしても、大した効果は出ないのです。それに影響されたとしても、すぐに起動修正ができるようになります。結局のところは自分が何をどう作るかなんです。


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